帯締めの歴史

 組紐や打ち紐が現われ始めたのは仏教徒ともに唐の文化が日本へ伝来した飛鳥時代といわれています。 その頃の紐の用途は経巻(きょうかん)、袈裟(けさ)、数珠(じゅず)などに付随した紐に用いられていました。

 戦国時代になると、刀の下緒(さげお)、鎧直垂(よろいひたたれ)、馬具、弓具など、武具の必需品として、武士が用いるようになりました。これらの紐は、全て結び目が解けるもの、反対に、解けにくいもの、ゆるみやしまりは用途に合わせ組み方や打ち方が工夫されるとともに、装飾性も兼ね備えていました。

女性の服飾品として使われ始めたのが名護屋帯です。これは、豊臣秀吉が行った朝鮮征伐の際に、参謀本部が肥前名護屋におかれ、そこに連れてこられた捕虜の中に、組紐の職人がいて紐を組んだと言う説と、戦利品の武具の紐から利用されたと言う説があります。

一般では、男性の羽織紐や被布の飾り紐など、紐の用途は広くなりましたが、帯締めとしての紐はまだ現われていませんでした。

 帯締めが用いられるようになったのは、江戸時代末期からとされています。 文化14年、江戸亀戸天神の太鼓橋落成の渡り初めに、深川芸者が、締めた路港考結び(ろこうむすび) の解けを防ぐためと言われています。この結びの形が太鼓橋に似ていた事が、現在のお太鼓と言われる由縁です。

 この帯締めが一般女性にも用いられるようになったのは、明治9年廃刀令以後です。不用になった刀の下緒が利用されるようになったのです。また、刀の目貫は、帯留めの金具にも応用されました。そして、帯締めや帯留は、帯にとって欠かせないものとなったのです。